常識が書き換わる、開発のタイムアタック時代
「半年・5〜6人が当たり前」だったSaaS開発が、1人・2カ月で走り切れるのか。Shunkan AIの事例は、その問いに具体的な答えを示しました。生成AIとコーディングAIを前提に、プロセスもアーキテクチャも再設計する——この発想転換を彼らは「AI適応開発」と呼んでいます。
単なる省力化ではありません。仕様の合意形成からコード生成、レビュー、品質保証までをAI前提で組み替える。その結果として、人月の常識が崩れ始めています。この記事では、公開情報と実例をもとに、このアプローチの勘所を深掘りします。
1人・2人月で完成させたPanacel——何が起きたのか
事例のスナップショット
Shunkan AIは自社SaaS「Panacel」で、従来113人月規模と見積もられる開発を2人月(1名)で完了したと公表しました。
「自社SaaS『Panacel』の開発において、従来手法では113人月規模と想定される内容を 2人月(1名)で開発完了いたしました。本プロジェクトを分析し、AI開発で成果を出すための要点を抽出・体系化したアプローチが『AI適応開発』です。」
PR TIMES|Shunkan AI「AI適応開発」発表
同社CTOが語る舞台裏でも、「本来5〜6人で半年」の規模感を1人・約2カ月で走り切ったと紹介。企画から要件定義、実装、評価までAIを横断活用したことが鍵でした。
「従来なら少なくとも5~6人で半年はかかるSaaSプロダクト開発を、たった1人、わずか約2カ月で開発した」
ビジネス+IT(SBbit) / Yahoo!ニュース転載
この加速を支えたのが、モックアップファースト、コードジェネレーター方式、リスクベースレビューという3つの柱です。次章で構造を見ていきます。
「AI適応開発」の全体像——発想をAI前提に更新する
3つの柱と補助線
AI適応開発は、従来の工程をAIに“当て込む”のではなく、工程自体をAI前提で再設計する考え方です。核となるのは次の3点。
- モックアップファースト:生成AIで動くモックと画面遷移を高速に出し、視覚で合意。文章仕様の曖昧さと手戻りを削減。
- コードジェネレーター方式:全自動ではなく役割分担。定型は決定論的ジェネレータ、変化が多い業務ロジックは生成AIで素早く案出し。
- リスクベースレビュー:全コード精査ではなく、P0/P1領域を深くレビュー。残りは静的解析・自動テスト・AIリンタで広く薄く。
周辺には、Cursor・Windsurf・Claude CodeなどのIDE/エージェントや、評価・観測・テスト自動化が連携します。公式発表でもこれらのエコシステムの普及と課題認識が示されています。
PR TIMES|connpass: 勉強会|Shunkan AI公式サイト
まずはこう使う:導入ステップとチーム運用
90日で“AI前提”に切り替えるロードマップ
Step 1:動くモックで握る(Day 1–14)
要件は文章よりUI遷移。生成AIでワイヤー→スタイル適用→簡易バックエンドの順に体験できる試作品を出します。1〜2日単位で顧客の確認を回し、曖昧さを早期に刈り取ります。
Step 2:コード生成の役割分担を固定(Day 15–30)
フロントの型、APIスケルトン、認証など定型領域は決定論的ジェネレータを用意。業務ロジックはAIペアプロで素案→人間が境界・制約を付記→再生成のサイクルに。
Step 3:リスクベースのレビューフロー(Day 31–60)
ビジネスクリティカル/セキュリティ/課金/データ整合のP0を深掘り。その他は静的解析・型・テスト自動化・AIリンタを標準化し、人のレビューはリスク集中に絞ります。
Step 4:観測と評価を常時化(Day 61–90)
本番相当のエフェメラル環境でプレビューを自動発行。ログとプロンプト評価を収集し、回帰・品質をダッシュボード化。AIの“癖”に合わせてプロンプトとテンプレートを継続最適化します。
- 推奨ツール例:AI対応IDE(Cursor/Windsurf/Claude Code)、テンプレート/スキャフォールド、型安全なバックエンド、Playwright/Cypress、OpenAPI/GraphQLスキーマ駆動、IaCとプレビュー環境
- KPI:仕様合意までのサイクル数、AI生成差し戻し率、P0欠陥密度、回帰検出までの時間、プレビュー滞留時間
アーキテクチャをAIフレンドリーに:生成と保守の“境界設計”
コードが“再生成”に耐える構造
AI生成の真価は何度でも作り直せること。そのために、生成して良い層/固定すべき層を明確に切り分けます。ポイントは次の通り。
- 契約駆動(Contract-first):OpenAPI/GraphQL/JSON Schemaで境界を固定。生成は境界の内側に留め、互換性検査をCIに組み込みます。
- 決定論的テンプレート層:ルーティング、認証、監査ログ、課金のフックなどセキュリティ臨界点はテンプレート化して再生成しない。
- ドメインコアの分離:ユースケース層は副作用を隔離し、純粋関数とテストデータで再生成の安全弁を作る。
- 観測とガードレール:PIIマスキング、プロンプト/レスポンスの監査、レート/コストガード。例外はセマンティクスで分類しアラートを絞る。
- プレビュー駆動:ブランチごとにURL付きデプロイを自動発行。非同期合意形成により、同期会議を減らす。
この設計で、“何度でも作り直せる”速度と“壊れない”安定を両立させます。
品質とセキュリティ:リスクベースレビューの実務
全部は見ない、見るべきを深く見る
人手レビューはP0/P1に集中し、他は自動化でカバーします。レビュー観点をリスク目線に揃えるのがコツです。
- ビジネス臨界:課金、与信、ライセンス、会計仕訳。金銭と法務に直結する経路は二重レビュー+ペアウォークスルー。
- データ保護:権限制御、行レベルセキュリティ、監査ログの欠落検知。PII/秘匿情報の流出チェックをAIリンタ+DLPで常時。
- 仕様逸脱:スキーマ差分、互換性破壊、N+1。型・プロパティベーステストで広く検知。
- AI特有:プロンプト注入、ツール誤行使、幻覚耐性。レッドチーム用プロンプト集で攻撃回し、スコアリングをダッシュボード化。
テストはe2e(体験)>契約(API)>ユニットの順で優先。LLM評価も合格ラインと逸脱例を蓄積し、再生成時の退行防止に使います。
日本企業への処方箋:導入のカベと乗り越え方
調達・ガバナンス・人材の三題噺
多くの組織が感じる課題は調達の遅さ、レビュー文化の平準化、人材組成です。AI適応開発は“先に動いて見せる”前提。そこで、小さく始めて早く可視化する仕掛けが効きます。
- ガード付き実験環境:本番データを使わず、匿名化+最小権限のサンドボックスでまずPoC。可視化ダッシュボードで経営合意を取りにいく。
- スモールスタートの題材:内製SaaSの非中核モジュール(設定、ログ検索、管理画面など)から着手。ROIを短期提示できる単位を選ぶ。
- 役割設計:生成AIの操縦士(プロンプト/境界設計)、契約守衛(スキーマ/セキュリティ)、体験編集者(モック/UX)の3ロールで最小編成。
- KPIの再定義:人月ではなく合意サイクル時間、プレビュー滞留、P0欠陥密度、回帰検出時間で見る。
Shunkan AIは、実践のためのスターターキット提供も表明しています。組織導入は道具+型+伴走の三点セットが近道です。発表概要はこちら。
まとめ:仕様は動く、だから“動く仕様”で走り切る
明日から変えられる最小アクション
AI適応開発は、AIに合わせて仕事の型を変えるアプローチです。モックアップから握り、生成の境界を設計し、リスクでレビューする。これだけで手戻りと待ち時間が目に見えて減ります。
- 今日:次の機能を動くモックでレビューする運用に切り替える。
- 今週:決定論テンプレと生成可領域を棚卸し。契約(スキーマ)をCIの第一市民に。
- 今月:P0レビュー観点を定義し、自動テスト+AIリンタで周辺を固める。
「1人・2カ月は特別な話」ではありません。動く仕様で握る/境界を守る/リスクに集中する。この3点が回り始めたチームから、常識は静かに更新されていきます。

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